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桝方木戸


執筆: 諸星蝸牛 2010.02.07

もくじ
  1. 騒動直近の絵図に見る桝方木戸
  2. 細野格城本に見る桝方木戸

[↓] 1
 1 騒動直近の絵図に見る桝方木戸もどる
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桝方木戸に興味を持った訳は2つあった。

ひとつは、それが最後の木戸だったからである。
最後」と言うのは、農民たち4千人が大挙して城内に押し寄せたとき(明治2年10月)、通町木戸、連雀町木戸を押し通り城内広小路を目指しながらも、ここ桝方木戸で押しとどめられたからである。
どのような木戸であったのか、知りたいと思った。

もうひとつは「木戸」でありながら、戦後まもなく作成された紙芝居の絵では「」になっていたからである。
木戸と門がどう違うか?
江戸時代の木戸と言うと夜に閉じられる木の柵で、柵の間から向こうが見渡せる。門と言うと屋根が吹いてある頑丈なつくりで、閉じられると向こうはまったく見えない。
紙芝居の「」の絵は「おかしい」と思ったのであった。
左手が「通町木戸
屋根に飛び乗っているのは高橋弁五郎
門を開けたからさぁ入れ!」と、手招きしている

以来、古図などで「木戸」に目を凝らしてきていた。
今回 新たに見出した古図で、升形木戸の様子がはっきりと見えてきた。
以前古図で読み解く高崎城下押し寄せ門訴(2007.02.26)の記事では、「御城内外惣絵図 従追手御門南之方」(1810年6月 文化7年6月) の絵図で、木戸の様子をうかがっていた。ただ、これは五万石騒動よりも50年前のものであった。
今回の絵図「慶応年間 高崎城下町絵図」の製作は慶応丙寅(慶応2年、1866年)12月。つまり、騒動のわずか数年前である。
それが、下図である。
慶応年間 高崎城下町絵図」より

騒動直近のこの図でもやはり、升形木戸は門ではなく木戸であった。
城内に押し寄せた農民と城方の武士は、下図のような木戸をはさんで対峙し交渉したことがうかがえる。
御塀狭間形古絵図」より
[↑][↓] 2
 2 細野格城本に見る桝方木戸もどる
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この桝方木戸について、細野格城本の記載を探した。
引用は佐藤氏現代語訳、ページはあさを社復刻本
  • 通町木戸を難なく通過した百姓達はだんだん進んで安国寺門前まで押し寄せました。ここにも連雀町に木戸がありまして、この木戸は三十ばかりで押しました処、忽ち、押し倒してしまって、真一文字に桝方の木戸の際まで押し寄せました。ここは前の二カ所と違って構造が至極堅固でたやすくいかに大勢だからといっても、なかなか手だけではとても壊すことができるものではありません。(P.47)
  • 百姓が通町木戸を破って桝方御門を打ち壊そうとして押し寄せたとの町役人の報告が・・・(P.49)
    • > 格城本では、ここの部分だけが「桝方御門」という表現をとっている。これが、紙芝居で木戸を門として描いてしまった遠因かもしれない。
  • 桝方の木戸の犬潜りより出て来られたのは、郡奉行谷口忠右衛門、代官大瀧章司、大目付岩上元右衛門の諸氏で・・・(P.49)
    • > 犬潜り(いぬくぐり)とは、下図右扉の左下にある小さなドアのこと。
  • 前に桝方の木戸のことを申し上げましたが、ご老人方はよくご存じだと思いますが、若い方に参考までに一寸申し上げますが、それは安国寺前より兵舎に向かい大通りの交差点を過ぎ、なお西の方に進みまして今の市役所と西洋料理弥生との間にございまして、今では兵舎門前まで人家がありますが、その時は何にもなく広々としたところでありましたから、広小路と言ってました。桝方の木戸を入りますと行き違いになっていましたので食い違いといってました。桝方に番所があって普段五、六人の役人等が詰めていました。
  • その役所の前には幟り枠のようなものを立て、それへ槍、突棒などを並べ立ていかにもいかめしいものでありました。(P.65)
[↑] 3