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紙芝居「高崎五万石騒動−消えない足あと」の制作者をめぐって


幻の紙芝居と言われてきた「高崎五万石騒動−消えない足あと」の製作者が判明した。その顛末を報告する。
幻の紙芝居の作者が判明した経過を確認しあう研究会 2007/02/10

もくじ
  1. 幻の紙芝居、作者判明にいたった経過
  2. 丸茂利夫さんの証言
  3. 表紙(1980年頃撮影したスライド)に現れた署名
  4. もうひとつの紙芝居
  5. 高崎五万石騒動の継承と顕彰にむけて

[↓] 1
 1 幻の紙芝居、作者判明にいたった経過もどる
もくじへ
1951年ごろに群馬勤労者集団によって制作された紙芝居「高崎五万石騒動−消えない足あと」について、制作の経緯や活用状況などを調べて来たが、50数年の風雪の中に埋もれたものが多く、詳細不明のまま推移してきた。

ところが、昨秋(2006年10月)に「高崎五万石騒動研究会(代表:星野進乎)」が紙芝居のMediaCDを復刻版として刊行し、完成記念集会を開催したことなどを契機にして、紙芝居制作に直接関わった方の掘り起こしに成功した。

紙芝居の原画を制作した丸茂利夫さん(高崎市上中居、1934.1.28生まれ73歳、日本画家、雅号丸茂暁雲)が名乗り出てくれた。そして彼の証言に基づいて紙芝居表紙(スライドとして残存)を調べたところ、その左下に「酒井真右、丸茂利夫」と読める署名が浮かび上がった。

今をさかのぼること半世紀、1950年当時の継承活動を物語る貴重な「証言」と「物証」が発見された瞬間だった。

これを期に、行方不明と成っている紙芝居「高崎五万石騒動−消えない足あと」の原本が見つかることを願っている。

[↑][↓] 2
 2 丸茂利夫さんの証言もどる
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16歳の暮れか正月過ぎの寒い時期(1950年か1951年頃)に、友人のシマダ(1級上で近所、兄が群馬勤労者集団で活動していた)が「紙芝居の絵を描いてくれ」と言って、紙の裏に文章をびっしり書いたもの50枚ほどと、泥絵の具、にかわを持ってきた。アルバイトを休んで、20日ほどで仕上げたで仕上げた。アルバイト先の主人が心配して、わざわざ家までやってきたが、本当に絵を描いているのを見て安心したようだった。3度ほどもやってきて、描いている様子を脇でじっと見ているようなこともあった。

紙芝居の表紙左下に「酒井真右」と「丸茂利夫」と署名した。

2年ほどして、本にするからと言うことなので、鉛筆書きのものを作った。(原本は高崎図書館に存在)

さらに2年ほどして、上中居青年会が解散するということで、紙芝居が返されてきた。それ以降自宅で保管し、遺族に貸し出したりしていた。1995年(平成7年)に自宅で個展を開いたときに、紛失に気が付いた。

昨年の秋に、何人かの親族から「お前の描いた紙芝居が使われているけど、作者の名前も何も出てこなかったぞ」と連絡を受けた。そこで初めて「五万石騒動研究会」のことを知った。
[↑][↓] 3
 3 表紙(1980年頃撮影したスライド)に現れた署名もどる
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この画像は、紙芝居「高崎五万石騒動−消えない足あと」の表紙となっていたもので、それを写真にとってスライドとして保存されていたものである。紙芝居製作後30年程が経過したころの様子を伝えている。泥絵の具を膠で溶いているためか、色落ちが進んでいるとともに、紙の劣化と収縮が激しい。さらに、表紙であるためか、表面の磨耗もしているように見受けられる。


この表紙をデジタル処理したところ、丸茂氏の証言を裏付けるように、紙芝居の左下部分(緑の枠線内部)から署名が浮かび上がってきた。


美術」「」の3文字は、はっきりと読み取ることができ、「文化部」「」「」の5文字は、そのように読めなくはない。

解読不能の文字も含めて、これらの情報は
  • 酒井真右が紙芝居を作成した(これまでに文献などから判明していた内容)
  • 絵は丸本利夫が描いた(新たな丸茂氏の証言)
と符合するものである。
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 4 もうひとつの紙芝居もどる
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1950年代に製作されたもうひとつの紙芝居が存在している。それは高崎市立図書館に保管されている雑誌の切り抜き冊子でる。これは、残存している編集後記などから、月刊雑誌「青年時代」(1952年頃)のものと推定される。


そこには、製作者として以下のように紹介がある。

原作ホソノカクノジョウ
脚色カミナカイ村青年団
美術マルモトシオ
カミナカイ村婦人会
〃 学生会

さらに、書き出しの部分には、以下のような記述がある。

 この物語は、今から三年前から研究され、メイジ四五年発刊の「五万石騒動」、ホソノカクジョウ著(当時十六才で騒動参加)を中心に三〇数冊の文献をあさり、主として、ナカイ村青年団、学生会、婦人会の人たちによって作りあげられたものです。
 この絵は、物語の中に出てくるマルモモトジロウの子孫、小学校出たきりの、たった一八才の少年、マルモトシオ君が筆をにぎり、青年会、学生会、婦人会、おばあさん、おじいさんが助言して出来上がったものです。

また、冊子に掲載されている挿絵には「TOSHIO」「TOSIO」「TM」のサインが入っている。

これらのことは、「2年ほどして、本にするからと言うことなので、鉛筆書きのものを作った。」という、丸茂氏の証言と合致している。
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 5 高崎五万石騒動の継承と顕彰にむけてもどる
もくじへ
昨年秋に製作出版した電子紙芝居「高崎五万石騒動−消えない足あと」には、次のような一節を入れていた。

 戦後の激動がぬけきらぬ朝鮮戦争のさなかの1950年代、群馬勤労者集団が戦争反対と民衆運動の鼓舞を願って作成した紙芝居「高崎五万石騒動」は、その後、地元村落を中心に上演されてきた。残念なことに、製作者たちの消息が絶え、紙芝居の原本が失われてしまった。

しかし、うれしいことに、この記述を次のように書き改めなければならなくなった。

 戦後の激動がぬけきらぬ朝鮮戦争のさなかの1950年代、群馬勤労者集団が戦争反対と民衆運動の鼓舞を願って、語りの文章を酒井真右、絵を丸茂利夫に依頼して作成した紙芝居「高崎五万石騒動」は、その後、地元村落や遺族会などを中心に上演されてきたが、残念なことに、紙芝居の原本が失われてしまった。


これを期に、高崎五万石騒動の継承の輪を広げると共に、関係者の顕彰にむけて、今では行方不明となっている紙芝居「高崎五万石騒動−消えない足あと」の原本が見つかることを願っている。
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執筆: 諸星蝸牛 2007.02.10