鎖国から開国へ、徳川将軍による幕藩体制から天皇による中央集権制へ舵を切った激動の中、1869年(明治2年)、群馬県は高崎の地においても農民の闘い(税制改革運動)が足かけ3年にわたり燃え上がった。当時の高崎藩は5万石*だったため、この戦いは「高崎五万石騒動」と呼ばれるようになった。
- * 藩全体としては約8万石で、内高崎領内が約5万石強だった
- 他に、越後の蒲原約2万石、下総の銚子約5千石、武蔵の野火止約2千石
現存する江戸時代の村旗(下小鳥村)と車連判状(大八木村)(右)
若き日に闘いに参加していた細野格城は、収集した史料と自らの体験をもとに、当時の衆議院議員(初代高崎市長)矢嶋八郎をはじめとした政界や地元実業家の支援を受け、闘いから40年後の1911年(明治44年)に名著「五萬石騒動」を執筆した。
細野格城と、その著書「五萬石騒動」
さらに40年後の1951年ごろ、敗戦と朝鮮戦争という激動の中で高崎の若き勤労者集団が、「高崎五万石騒動−消えない足あと」と題した紙芝居を制作し各地で上演活動を展開していた。また遺族をはじめとして、各村落では弾圧処刑された人々を顕彰する催しが定期的に行なわれ、八木節としても語り継がれてきている。
幻の紙芝居(スライドとして現存)の表紙、色落ちと変形が進んでいる
2000年に市制施行100周年を迎えた高崎市はそれを記念して高崎かるたを作成した。市民の公募の中から選ばれた44枚のかるたの中の1枚が「五万石騒動 高崎 夜明け前」と詠まれるなど、今なお、人々の心と暮らしの中に息づいている。
高崎かるた「五万石騒動 高崎 夜明け前」/お祭りでの八木節(右)
こうした郷土の歴史と人々の心を語り継ごうと、「高崎五万石騒動研究会」は、幻の紙芝居「高崎五万石騒動−消えない足あと」を電子紙芝居(MediaCD)として復刻した(2006年)。
紙芝居「高崎五万石騒動−消えない足あと」デジタル復刻版
執筆: 諸星蝸牛 2007.02.08
補筆: 2007.03.16 高崎五万石の解説(*)を追加
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