高崎五万石騒動
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このページの記事は、高崎五万石騒動(通称 五万石騒動)についての調査研究や雑感、そして「高崎五万石騒動研究会(代表:星野)」の活動報告などです
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もくじ |
- 〉〉〉〉〉掲載順一覧
- 大逆事件と名誉回復
- 千葉県茂原の車連判状
- 伝承 高崎五万石騒動 3点セット
- 大総代が捕えられた獄舎について
- 小園江丹宮は神官!?
- 天王の森に神社はなかった?
- 騒動直近の絵図に見る桝方木戸
- カルタでみる 高崎五万石騒動
- 古図で読み解く高崎城下押し寄せ門訴 その2
- 古図で読み解く高崎城下押し寄せ門訴
- 数字で読み解く高崎城内押し寄せ門訴と、動員の実態
- 4千の百姓が城内へ押し寄せた/その道筋
- 紙芝居<高崎五万石騒動−消えない足あと>の制作者をめぐって
- 高崎五万石騒動とそれからの130年
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今年2011年は、大逆事件の死刑執行から100年だと言う。
大逆事件で処刑者2人を出した和歌山県の新宮市では、議会で名誉回復の決議を挙げたそうだ。
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江戸時代の農民運動では、今日の寄せ書きのように、連判状に丸く署名することは、高崎五万石騒動だけではない。その一例を千葉県茂原の車連判状で知ることができる。
他の地域の運動や事情を知ることで、高崎五万石騒動についての理解を深めることが出来る。
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先人の伝承を受け継ぎ発展させた、3つの作品(カルタと物語と電子紙芝居)がでそろった。
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農民の代表として、減税運動を指導した大総代を、高崎藩はどのように扱ったのか。
その獄舎の位置が明らかとなった。
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農民の教育に携わりながら、城方とも交渉を持った流れ者。
小園江丹宮の実像に迫る
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数千人の農民が結集し一夜を明かし、城内に打って出たその森は どんなところだったのか?
古図が明かす 意外な真実
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騒動直前に描かれた高崎城内絵図を見つけた。
そこから見えてくる 城下押し寄せの真実とは
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製作中の高崎五万石騒動カルタ≠フ原画が公開された
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古人の足跡をたどりたいとき、実際にその地に立ち、その同じ道をたどってみることで、見えてくるものがある。
今回は、あらためて、城下押し寄せのコースを現代地図に重ねてみた。
諸星蝸牛 2009.07.25
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高崎五万石騒動(通称 五万石騒動)は、その記録によれば、高崎領内を中心に、前橋、安中、岩鼻、そして江戸と広い範囲で会合、集会、大衆行動を行なっている。
その広い空間を、できるだけ再現しながら、五万石騒動の実状に迫りたいと考えた。
ここでは、細野格城「五万石騒動」の記述にそって、特に、高崎城下押し寄せ門訴の実態を、古図で読み解いてみた。
諸星蝸牛 2007.02.26
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高崎五万石騒動(通称 五万石騒動)は、その記録によれば、足掛け3年間にわたる長い日数と、高崎藩領内全村全戸周辺諸藩を巻き込む規模において、類まれな農民運動であった。そして、その時期は、明治2年から4年と言う、明治政権の確立期=時代の大きな変わり目であった。
こうした騒動を起こした農民の参加の様子はどうだったのか?・・・という問題意識をもって、とくに数字の面から、実態に迫ってみた。
諸星蝸牛 2007.02.15
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高崎五万石騒動(通称 五万石騒動)の山場は、やはり高崎城内への押し寄せである。
そこで、その道筋を、集合場所の柴崎村天王森から、城内まで調べた。
諸星蝸牛 2007.02.11
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幻の紙芝居と言われてきた「高崎五万石騒動−消えない足あと」の製作者が判明した。その顛末を報告する。
諸星蝸牛 2007.02.10
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明治の初年に勃発した高崎五万石騒動(通称 五万石騒動)は、足掛け3年にわたる粘り強い戦いとなり、多くの犠牲を払いながらも当初の目標(減税と税制改革)を実現した。その後130年になるが、今も語り継がれる歴史となっている。その流れをざっと追ってみた。
諸星蝸牛 2007.02.08
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